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1969年三島由紀夫と東大全共闘とのディスカッションを見て思ったこと
全共闘側のある独りと三島さんの対話から感じたこと
タイプの違う人間
何処にも所属せず、関係性も持たず、もちろん国籍も存在しない、所在にコダワリを持たない、持つことが壁をつくる、という自由人
一方、全ての関係性からナショナリティーを持って共同体として存在する人
日本人てなんだろう
日本と呼ばれる同じ大地に存在して同じルールの下に分担協力して生活を築きあって同じ興奮や喜びや願いを共有する文化を持った
自分は日本人・・・全てこの関係性から存在してるし、日本の外にいて意識する
この全ての関係性を絶って、自分は何処にも縛られていない“個人である”“存在している”とは自分は言えない
自分は日本人です、とはっきり言える
それを強く実感させられたなら、
自分の存在に等しい日本に愛着が涌いて当然だ。命をかけて守ろう、って思うのも解る
人間ってやっぱり個人ではなく、共同体の一部なんだと思う
この共同体・・・果ては世界、宇宙なんだろうけど、その前体に日本があるんだ・・・
おいらの日本
天皇という存在の箱や、空っぽの神輿を担ぎ上げて一体にさせなければまとまらない共同体は空しすぎる
多分、
三島さんが言っっていた“天皇”という箱は“311ー原発”というもっと強固な箱になったのかもしれない
三島さんの憂いていた日本が姿を取り戻す機会が終に訪れているのかなぁ・・・
うちら、変革のときにいるのかなぁ・・・
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2012/08/06 (Mon.) Comment(0) 日本を想う
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